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投稿日時:2026.02.26
アフリカで薬草を採取し、湿布として用いる薬草師。中国で鍼を使って慢性的な頭痛を和らげる鍼灸師。インドで瞑想に取り組むヨギたち。こうした伝統医療は、地域の暮らしに根づき、世界中で数十億の人々の健康を支えてきた。
その一方で、近代以降は「科学的根拠に乏しいもの」と見なされ、主流の医療から距離を置かれてきた存在でもある。しかし今、その評価が静かに変わりつつある。
昨年、世界保健機関(WHO)加盟国は、今後10年間を見据えた新たな「世界伝統医療戦略」を採択することで合意した。WHOは、伝統医療が持つ可能性を改めて見つめ直し、現代医療とどのようにつなげていけるのかを本格的に検討し始めている。
その中心人物が、WHOグローバル伝統医療センターのディレクター、シヤーマ・クルヴィラ博士だ。彼女は、長らく十分な投資や研究が行われてこなかった伝統医療について、「より多くの注意と研究に値する」とThe Guardianに語っている。
この「世界伝統医療戦略」が目指すのは、TCIM(伝統・補完・統合医療)が健康とウェルビーイングにどのように貢献し得るのかを、あくまで科学的根拠に基づいて評価することだ。
今回WHOが伝統医療について新たな戦略を採択するうえで重要視しているのは、伝統医療を無条件に称賛するのではなく、治療法の有効性や安全性を検証する研究基盤を整え、必要に応じて制度化し、主流の生物医学的医療と接続していく点にある。
クルヴィラ博士は「“何が効いて、何が効かないか”をすでに知っているわけではありません。でも、今まさにそれを確かめる機会があるのです」と語り、あくまでもエビデンスに基づいて評価する姿勢を明確にしている。
この動きを後押ししているのが、現代科学の進歩だ。人工知能、ゲノミクス、脳画像解析といった技術により、これまで捉えきれなかった作用やメカニズムが可視化されつつある。たとえば瞑想が脳に与える影響を機能的MRIで確認したり、薬用植物の成分を遺伝子レベルで解析したりすることも、もはや特別なことではなくなった。
すでに具体的な成果を上げている国もある。
タイでは、伝統医療の現場を体系的に記録し、無作為化比較試験を通じてエビデンスを積み重ねてきた。その結果、一部の薬草治療は必須医薬品リストに加えられ、筋肉痛や便秘といった症状については、従来の医薬品から伝統的治療へ切り替えるよう医師に勧告が出されている。
たとえば日本でも医療の現場で漢方薬が処方される機会は増えてきたが、これも伝統医療を評価し取り入れた一例と言える。
一方で、WHOの取り組みには慎重な声もある。ホメオパシーのような非科学的な医療体系が、「伝統医療」の名のもとに主流医療へ入り込むのではないか、という懸念だ。これに対しクルヴィラ氏は、ホメオパシーはWHOの定義する伝統医療には該当せず、十分なエビデンスも存在しないと明言している。
「私たちの最低限の基準は、特に安全性と有効性について、強固で信頼できるエビデンスに支えられているかどうかです。それがなければ、WHOは支持しません」。生物医学であれ伝統医療であれ、評価軸は一貫している。
WHOの調査によれば、多くの国で伝統・補完・統合医療は公的医療制度の外にあり、患者の自己負担で利用されている。その人気の高さに比して、品質管理や安全対策が十分とは言えない現状もある。
クルヴィラ氏は、「関与しないという選択肢はありませんでした。そうすれば、何の安全策もないまま広がってしまうからです」と話す。この言葉には、ヨガやサプリメントを含む巨大なウェルネス産業が無秩序に拡大してきた現実への危機感がにじむ。
情報へのアクセスが容易になった今、良い情報に出会える反面、不確かな情報に触れる機会も増えている。正式な評価を得ていない分野だからこそ無法地帯となり、消費者は自己責任で判断せざるを得ないのが現状だ。
伝統医療をエビデンスに基づき再評価することで、医療の選択肢が増え、無秩序に広がってきたウェルネス産業の整備にもつながることが期待されている。
クルヴィラ氏が描く未来像は、伝統医療と生物医学の対立ではない。両者のあいだに「橋」を架け、相互に補完し合う関係を築くことだ。膨大な数の実践者と長い歴史を持つ伝統医療は、医療人材不足に悩む世界にとって「宝の山」になるかもしれない。